軽井沢ウエディングの魅力 01.軽井沢の歴史

碓氷峠を控えた宿場町

遠く「万葉集」「日本書紀」までさかのぼり、日本神話の舞台のひとつとして登場する碓氷峠。その麓に広がる原野を切り拓き、人々が生活するようになった高原の村が、軽井沢の出発点です。

江戸時代、軽井沢は本州内陸を通って江戸と京を結んだ中山道の18番目の宿場(現在の旧軽井沢周辺)として繁栄します。江戸からは、難所である碓氷峠を無事越えて一息つく宿。京からは碓氷峠を控えて気を引き締める、そんな要所だったのです。

また、軽井沢宿に続く19番目の沓掛宿(現中軽井沢)と20番目の追分宿は、活火山であった浅間山の麓を回り込む「浅間根腰(あさまねごし)の三宿」と呼ばれ、宿、茶屋、商店などが立ち並び、大いににぎわいを見せました。

日本を代表する国際避暑地誕生

軽井沢が「国際避暑地」として、日本の中でも特別な場所となったのは1881(明治19)年。宣教師A・C・ショー、東京大学の英語教師デクソンというふたりの西洋人が、相次いでこの地を訪れたことに端を発します。

翌々年には、すでに横川まで建設が進んでいた鉄道と、鉄道馬車の便により、東京〜軽井沢間は1日でたどりつける距離となっていました。
東京から遠からず近からず、美しくも涼しい高原の村を大いに気に入ったふたりは、夏をこの地で過ごすことを喜び、多くの知人に軽井沢の魅力を紹介します。
特にショー師は廃業した宿屋を買い取って移築・改築し、避暑のための別荘として利用。彼に招かれた西洋人たちも、好んで軽井沢で避暑を楽しむようになり、西洋人たちを中心とした別荘文化が、ここに花開いたのです。

1893(明治26)年には信越本線の前進となる鉄道線が全通。日本人の別荘も建設され始め、「避暑地軽井沢」は、あこがれの地として人々の口の端にのぼるようになっていきます。

チャーチ&チャペルがたたずむウエディングの聖地

ショー師は、この地にキリスト教の祈りの文化を根付かせることにも尽力しました。
1895(明治28)年に、日本人棟梁による洋風建築の礼拝堂(現「ショー記念礼拝堂」)を新設。ショーが属する日本聖公会の宣教師や信者をはじめ、別荘に滞在する西洋人、日本人が参集し、祈りの時間を過ごすようになりました。

その後、1897(明治30年)には「軽井沢ユニオンチャーチ」、1905(明治38)年には「日本キリスト教団 軽井沢教会」、また1935(昭和10)年には著名な建築家アントニン・レーモンドの設計による「軽井沢聖パウロ・カトリック教会」など、さまざまな宗派の教会が建築されました。昭和以降、自由な礼拝の場であるチャペルも軽井沢の各地に新設されました。

多くの教会、礼拝堂が点在する軽井沢は、敬虔な祈りの聖地として、また結婚という神聖な誓いを交わすのにふさわしい場所として、人々の心に刻まれることとなったのです。