軽井沢ウエディングの魅力 02.上質の迎賓文化

避暑地に生まれた新しい文化

夏ごとに家族そろって軽井沢を訪れ、別荘や下宿(街道時代の旅館)で避暑を楽しむ西洋人たちの暮らしの便宜を図るため、彼らと交流のある東京銀座や横浜の店がサマーショップを開くようになったのが、現在の旧軽銀座の発祥です。

彼らは村人との交流もはぐくみました。
天然氷の製氷、キャベツなど生で食するサラダ野菜、ベリー類やルバーブのジャム、そしてパンなどは、ショー師をはじめとする宣教師やその婦人たちが、作り方や食べ方を村人に伝えたといわれます。田舎の農村の人々にとってカルチャーショックだった彼らの暮らしぶりは、一方で、日本ではまだ珍しい西洋の生活文化を早くから体感し、受け入れ親しむきっかけとなりました。

別荘で使う家具の需要も、地元の職人を奮起させることとなります。
「日光彫」の流れを組んで独立した「軽井沢彫」の家具は注文の厳しい上流階級の西洋人たちにも好まれ、今に続く地場産業として発展。皇室の方々にも愛される、日本を代表する木彫家具のひとつとなっています。

「一流」を迎える心とかたち

1894(明治27)年、現在の旧軽銀座通りの旅館「亀屋」が、軽井沢で最初のホテル「亀屋ホテル」としてオープン。翌年には「萬平ホテル」(後に万平ホテル)と改名し、軽井沢の迎賓文化の先陣を切りました。

次いで1900年代初頭には「軽井沢ホテル」「三笠ホテル」が開業。本格的な洋食を味わえ、ベッドで休めて、ホールやロビーを交流の場にできる完全な洋式ホテルの登場により、内外の一流人たちが競って軽井沢へ避暑や社交に訪れるようになります。

ところで、ホテルでの挙式・披露宴は、関東大震災(1923年)後の「帝国ホテル」に原型があると伝えられます。その格式あるおしゃれなスタイルが、日本の洋風文化の最先端にあった軽井沢のホテルですぐに採用されたのは言うまでもありません。軽井沢でのホテルウエディングは、当時の上流社会の人々にとってさえ、あこがれでした。
こうしてウエディングの舞台としても、軽井沢は特別な場所になっていったのでした。

迎賓文化 息づく

文学や芸術を仕事とする人たちにとっても、軽井沢は魅力の避暑地でした。
彼らは「つるや」「油屋」といった旧街道沿いの老舗旅館や中軽井沢の「星野温泉」などに滞在し、創作に熱中したり、文人同士の交流を楽しんだり、休養のひとときを楽しんだりし、その様子を書簡や作品に記しています。

この地が気に入って別荘やアトリエを求めた作家、芸術家も多く、軽井沢に独特の文化的土壌が育つきっかけとなりました。

時代による変遷、盛衰はあるものの、内外のさまざまな分野の人々が軽井沢をことさらに愛し、別荘や宿泊施設を拠点に滞在する伝統は、平成の今にも引き継がれています。そして、それを親しみを持って迎え入れ、心からおもてなしをする迎賓の風土も、軽井沢の文化として定着しています。